オリジナル曲のこと

山田太一のエッセイのなかで、向田邦子が自分の書いたシナリオを、「ドラマが終わってしまうとどんどん捨てちゃう」と言った事を、愛惜の思いを込めて「とっとかなきゃいけないに決まってるじゃないか。」と書いている。
ハッ、とする思いがあった。
山田太一が私に言っているわけじゃないんだし、私の作品(曲)なんて、向田邦子さんの作品と比べ様も無く、どーってことないんだが、胸を付かれる思いがしたのはつい4日前にやったライブの事とダブったからだ。

去年の9月に自分のグループ<スアラ・オンバック>のCDをリリースした。
時間をかけて曲を作り、メンバーと大切に築き上げて、苦労してCD完成まで来て、さてこれからこれで頑張って行かねば、という時に、「捨てちゃう」気持ちになる。出来上がったものはもういい、という思いが生まれてしまう。
完成したものに急に興味が失せてしまうのだ。

【演出家も俳優も、そして視聴者も、終わってしまうとまるで競争で忘れ去ろうとするようにそのドラマから離れて行くが、ライターだけは離れてはいけないのではないだろうか、ラングストン・ヒューズが、こづき回されて誰も鼻もひっかけない黒人の少年が「ぼくを重んぜよ」と胸の中で繰り返す詩を書いているけれど、「私のドラマを重んぜよ」とライターだけはひそかにいっていなければいけないのではないか…。】という山田太一の言葉は、「ママ」と子供のように私の袖を引っ張っている、一年間放って置いた私の曲たちの声のような気がしたのだ。

誕生日という事を盾に(?)、久々に我が子を人様に紹介するような、そんな照れも少々あったライブだったが、やってよかった。
やはり「とっとかなきゃいけないに決まってるじゃないか」と思えたのである。
自分の作品(及び演奏)を重んずる事は、自分の存在そのものを重んずるに他ならないのではないだろうか、などと改めて思えたバースデーライブであった。