江ノ電通学

今日から9月。
夜が随分涼しくなった。
仕事から帰ると、もうクーラーは付けずに窓を開ける。
風が、すっかり秋だ。
遠く電車の音が聞こえてくる。
踏み切りのカンカン…という音は、なぜどこか淋しいのだろう。
温かいお茶を入れる。
一日の疲れがスーッと安らぐ。

鎌倉で育った私は江ノ電通学だった。
中学生の時、今日はテストという朝、込んだ車内で立ってノートを広げていると、車掌室に入れてくれ、ここに座って勉強しなさい、と椅子に座らせてくれた事があった。
のんびりした土地柄なのだ。そして時代なのだ。

江ノ電は、海沿いや、山の麓や、切り通しなんかをコトコト通って行く。
ゆっくり、ゆっくり、通って行く。
色んな景色を当たり前のように見ながら中、高、6年間通学したと言う事は、今になってみると、とてもステキな事なんだなと、最近思う。

ずっと当たり前だった事が、実はとても大切な、有り難い事だったんだって、この頃になって思う。
時を経てみないと分からない事…。
色んな人達と出会い、泣いたり、怒ったり、傷付いたり、笑ったりする。
そうして見る景色は、きっと前に見た景色とは、どこか違う。

おんなじ空なのに。
おんなじ道や、人々なのに…。

江ノ電を降りると、学校まで松に囲まれた道を歩く。
砂まじりの校庭の土は足に心地よい。湘南ならではの感触だ。
潮風に包まれて一日過ごす。
私の学校は、校歌もいかにものんびりと湘南らしく、

♪持とうよ歌を くちびるに
 星を秘めたる 青空を
 学びの窓に 仰ぎ見て
 今日を楽しく 歌おうよ
 
 ああ湘南の 海辺より
 友ようち見る 富士ヶ根
 雪の清きに よく似たる
 若き世代を 楽しもう

と、歌おうとか、遊ぼうとか、全く勉強させる気がないのが気に入っている。
素晴らしい歌詞だと思っている。
その通りの人生を歩んで、歌って生きているわけだから、作詞家の方もさぞかし喜んでくれているんじゃないかと、
自分で勝手に納得している。

そういえば、私は親にも「勉強しなさい」といわれた事が無い。
ビデオのない時代だから、たまに自分の部屋で勉強していると、「テレビいいのやってるから、そんなもん後にして見なさい。」
と言われる始末だ。
素晴らしい親だと思っている。

最近ふるさとを想う事もめったに無くなった。
江ノ電、たまには乗りに行って見ようかな。