「イノダ」のコーヒー

学生の頃、趣味で彫金をやっていた事がある。週に一度集まって、銀で指輪やなんかを造る。手先の事は大好きなので楽しかった。仲の良い友人も出来、旅行でもしようかという話になった。
女性4人での京都行き。用意する時点からもうすでに盛り上る。
若かったその頃、音楽での仕事なんていうものもまだ無くのんびり旅行など出来たわけだが、その時の楽しさは未だに忘れられない。

とても寒い日だった。雪がはらはらと舞っている中を、4人であちこち歩いた。
仲間の一人が京都の神主さんと文通をしていて(今時そんな子いないだろうな)彼を訪ねていくというのが、その旅の大きな理由の一つでもあったのだ。

京都の何処だか忘れたが、山の上にある神社を訪れた私たちは、痩せて背の高い神主さんに初めて会って、自分の恋人でもないのに、何だかどきどきしたっけ。
神社の社の中に入れてもらい、お賽銭を上げて拍手で拝んでいる人たちを、内側から見たのも初めてだった。
神主さんはその日の夜、仕事が終わってから4人におでんを奢ってくれた。関西風の美味しいものだった。今から思うとお邪魔虫だったろうなぁ。私達3人。

あくる日は4人でタクシー割り勘で市内を観光(可愛らしかったなぁ)。
運転手さんに教えてもらって、京都で一番コーヒーが美味しいという「イノダ」という店に行った。入った途端、皆で、わぁ!と歓声を上げてしまった。観葉植物がいっぱいのサンルームのイノダは本当に素敵で、コーヒーも本当に美味しかった。
白い大き目のカップ。たっぷりのコーヒー。ゆっくりと時間が過ぎて行く贅沢を味わったものだった。

あれから長い年月が過ぎて、イノダのことは宝箱に入れた思い出になっていた。私も音楽の仕事が忙しくなり、あの頃の友人もみな結婚して、会うことも無くなってしまっていた。仕事で幾度も京都へ行ったけれど、イノダを探して行くような時間も心もゆとりが無くなっていた。

先日新宿でコンサートをしたとき、10年以上の付き合いがある小林夫妻がプレゼントをくれた。家に帰って開けてみると、何とイノダのコーヒーだった。

特別な気持ちで、とっておきのカップを暖めて、コーヒーを立てる。
忘れていたあの頃が、いっぺんに蘇った。
友の顔が、雪の京都が、目の前に現れた。
いい香りが、部屋いっぱいに広がる…。疲れが吹き飛ぶようだった。