神戸(第二の故郷)をたずねて

子供の頃、父の仕事の関係で神戸に住んでいた事がある。
六甲山麓、今は寺口町と地名が変わってしまった、以前「曽和山」と言っていた所。幼稚園と小学校一年生の途中までそこから通った。
高台にあるため、家からは寝転がっても海が見えた。酒蔵や、まだ埋め立てなどしていない海は美しく、夜はイカ釣り船の灯りが見えた。

今回の関西ツアーのオフ日を、思い切って昔住んでいた場所を訪ねるのに当てる事にした。
20余年ぶりの第二の故里。胸が高鳴る。

幾つもある同じような坂道のひとつに、何となく見覚えがある。
震災でかなり変わってしまったが、確かに見覚えのある石垣や塀や、大きな木。
坂をどんどん登ってみる。
ああ、ここだ。この場所だ…。

すぐ隣下の大きな家。瓦が特徴がある。丸窓も同じだ。
けれど、私が住んでいた家は、コンクリートのマンションになってしまっていた。すぐ上に住んでいた、亡くなった同級生のヨッちゃんのツタの絡まる西洋館も、大きな木だけ残して、全く違う家が建っている。あの辺にブランコがあったっけ。この辺に甘い実をいっぱいつけるびわの木や、柿の木があったっけ…。
遥か彼方に見える海は霞んで、高い建物や埋め立てで、すっかりその姿を変えてしまっていた。

時が止まったようだった。
日差しは暖かく、風も幼かった日々と同じに穏やかだ。

通っていた高羽小学校はすぐわかった。校舎は殆んど何も変わっていなかった。
お昼時だったので、子供たちはちょうど、白い上着と帽子を着けて給食の用意をしていた。昔と同じ廊下の木の床を、3年生くらいの数人の子供が駆けて行く。カメラを向けると「僕も撮って!」と愛嬌たっぷりだ。可愛い後輩達。
運動場の横をまたぐように、細い道が渡っているのも変わっていない。
体育の授業中、よく近所のスーザ-さんちのお婆ちゃんが(近所は外国人が多く住んでいた)赤ちゃんのセシリアちゃんを乳母車に乗せて散歩に来ていたっけ。私が手を振ると、おばあちゃんも手を振ってくれる。

よく駄菓子を買った、学校裏の駄菓子屋さんもあった。
シガレットチョコレートと、オレンジジュースを買った。おおきに、と当時のおばちゃんの娘さんだという人が渡してくれる。

幼い頃の自分に帰ったような、何度も涙が溢れてしまいそうになった数時間。
頭の中でセピア色だった映像は、2002年2月22日、総天然色の風景に変わった。