本物

たまたま同じような病状の弟子A子と、胃カメラの話ですっかり盛り上がる。
何だかお年寄りが集まれば病気の話、オヤジが集まればハゲの話、というのに似ていて可笑しい。

掲示板で胃カメラの管の太さについての様々な皆さんの体験談が盛り上がっている。
鉛筆位と言う人、太めマーカーくらいと言う人、数回飲んだどれもが太さが違っていたと言う人。
う〜ん、そんなに種類あるのかぁ…。私が行った病院はおっきな大学病院なのに、しかも昔ならイザ知らず、
医学も発達しているであろう現代で、なんで「太めマーカー」サイズだったんだろう…?
技術士さんのウデの上手い、下手は仕方ないにしても、太さはねぇ…。
普段付き合いの無い世界での事柄は、本当に分からないものだ。こんな話、お医者さんが聞いたら可笑しいんだろうけどね。

きのう岡本太郎ピカソを語る、というTVを見た。
きれい、心地よい、分かりやすい、というのは芸術としてはダメで、醜悪だったり、なんじゃ!こりゃ!というくらい嫌悪されたり、バカバカしかったり理解されなかったり、そんなものが実は価値がある、と言っていた。「美しい」と「きれい」は違うんだそうだ。ちゃんと心にグサッと引っかからなくてはいけない、と。

気に入ったのは、素晴らしいものに出会ったとき、それを崇めたりそれの奴隷になっていては意味が無く、それをどこか嫌悪し、乗り越えていかねばならない、という話。私もいつもそう思っている。
素晴らしいものを目にして、大〜好き!なんて思っていてはいけないのだ。本当にスゴイ!と思ったら、なんじゃこりゃ!冗談じゃない、よ〜しっ!って、それとは違う(それ以上の、という気迫で)唯一無二の価値を自分で生み出さなくてはいけないと思うのだ。

私は思った。歴史的に見ても本物といえる、今生きている人って、実は気付かないだけで身近に居ると。
きっと後で、もしかしたら死んでから、ああ、あの人、ってみんな気付くのかも。
例えば加藤崇之。例えば渋谷毅。例えば姜泰煥。