さようなら、関屋 晋先生。

「カーテンを開けましょう!雪がこんなに綺麗じゃないですか。」と関屋晋先生。
昔、合唱をやっていた頃、珍しく積った雪の日の朝に練習日だった事があった。
上級生が眩しいからとカーテンを閉めたのを、私はもったいない、せっかく雪が積ってるのにと、とても不満に思っていたので、心の中でバンザイ!と叫んだ。
パーッと開け放った窓から見る、冬の日差しに煌く雪が美しかった。

それまでも第九やマドリガル等、他の指揮者で歌って来たが、どんな曲も先生が指揮すると全く違ったものになった。音楽の凄みを始めて教えてくれた人だった。
関屋先生が振る指揮棒は、まるでティンカーベルのステッキのように、魔法の粉がキラキラこぼれ落ちるように見えた。

それから時が経ち、私はプロのジャズシンガーになり、合唱の仲間とも会うことも無くなっていた。

数年後、北とぴあのサクラホールという所で、先生の関連の合唱団のソリストを頼まれた。一曲が40数ページもある池辺晋一郎作曲<ベンガル舟歌>というインド語の難しい現代曲。
先生は、50人の男声より私一人の声が通ると、目を細めてくれたっけ。

あれから先生にはお会いしていなかった。もう7、8年以上も経つだろうか。
時々教えているカルチャーセンターで、講師の欄に先生のお名前を見て、今度生徒で行って、びっくりさせようかな、なんて思っていた矢先の、合唱仲間からの電話だった。
「先生、さっき亡くなられました。」
…何だか遠いところから聞こえて来るような気がした。
京都で指揮をしていらして、急に(多分心臓麻痺で)倒れられたとのことだ。

先生の仲良くしていらした武満徹さんと良く似た、ひょろっとした宇宙人みたいな風貌。黒い皮パンツなんかがよく似合う、お洒落でカッコよかった関屋先生。
私が師、と呼ぶのは、思えば関屋先生おひとり、です。
ワインをまた一緒に飲みたかった。

先生、どうぞ安らかに…。天国でも凄いコンサートして下さいね。
いつかそのうち、私も行きますから、またお仲間に入れてね…。