さようなら、富樫雅彦さん

富樫雅彦さんが22日亡くなった。旅から帰ってきのうの夜中知った。

初めての出会いはあるセッション。
富樫さんとデュオで演奏なんて最初はとても恐くて、私はいいです、なんて
恐れをなしていたら、チェロの翠川さんが「行け!」って背中を押してくれた。

音が始まり、瞬時に別世界へ連れて行かれたあの感覚、忘れられない。
何か聴いた事のない美しいメロディが、完全即興音楽の中に聴こえて来る。
パーカッションひとつでこんな世界が表現出来得るものなのか!
気が付くと15分以上経っていた。
見ると嬉しそうに微笑んでくれている富樫さんが居た。

終わってすぐ、スケジュール、空いてる?と聞かれた。
ピットインで一緒にやろう、と。何と嬉しい事!

何度かご一緒し、間もなく、富樫雅彦、井野信義、翠川敬基、雨宮拓、さがゆき、という5人で
「TRIAL」というユニットにしよう、という事になる。

いつもライブの当日に、今日これね、と手渡される富樫さんの曲。
初見の苦手な私に富樫さんは「譜面なんて、こうでしょ、これでいいんだよ。」
と数秒サッと見渡して、パッと裏返してしまうというパフォーマンスをしてくれる。
「絵、だからさ、譜面って。」カッコイイ!!

お家に遊びに伺った時、奥様の手料理と音楽の話と、富樫さんの好きな蝶の話で、
時を忘れる楽しさだったっけ。
富樫さんが描いた絵が部屋にたくさんあった。山の、特にヒマラヤの絵が多かった。
行った事ないんだ、だからよけい憧れる、と。

子供の頃はどんな音楽が好きだったの、と聞かれ、ボサノバなんていう単語も知らない頃TVで見たユキとヒデ、というグループの「白い波」という曲に魅せられて、それで音楽にのめり込んだんです、というと、富樫さん、とても嬉しそうな顔になり、奥さんに「あれ、持って来て」と一枚のLPレコードを持って来させた。
「これでしょ」と、白い波。
「これぼくが叩いてたんだよ、サックスは渡辺貞夫。」
何と言う偶然!いや、偶然じゃない、私の原体験はこうして今に繋がっていたんだ。

音楽の話になると、子供のように目をキラキラさせて何時間でも熱く語った富樫さん。
引退なさってから不義理ばかりだった私。
ごめんなさい。もっと会っておけばよかった。
どうも有り難うございました。
富樫さん…さようなら。