冥利が悪い

そろそろ大震災からふた月近く経とうとしている。
3・11以前と以後では、ものの価値観が全く変わった気がする。
お金さえ出せば何でも手に入るなんていう幻想はとっくに消え、本当に
大切にしなくてはいけないものは何なのか、という事とひとりひとりが
ちゃんと向き合わなくては成り立たない世の中が帰って来た。

スーパーに行けばお魚や野菜が当たり前に買える。夜になればどこも
電気が明るく照らす。ちょっと飽きた服はポイ捨て。…もうそんなのって時代遅れ。
お魚獲ってくれる漁師さんがいてくれなきゃ、自分で潜って獲れるのか?!
お米も野菜も、もう止めた、ってお百姓さんが言ったら、一から自分で出来るのか?!
そんなのムリに決まってる。
風評うんぬんなんて偉そうに、私たちはいい気なものだ。ひど過ぎる。

昔おばあちゃんが、かかとの薄くなった靴下の中に電球を入れて、
ちくちく縦横斜めにきれいに縫っていたっけ。編んだセーターをほどいて、
くるくる玉にして湯気でのばして、編みなおしてたっけ。
そうやって編みなおされたセーターは、買ったものなんかより何だかずっと
ステキでうれしかった記憶がある。ケチだからなんていうのじゃない。
まだ使える物の命がもったいないから。
申し訳ないから。可愛そうだから。大切にしたいから。「冥利が悪い」から。
小さかった頃ご飯を残すと「ごはんちゃんにごめんなさい、は?」って母に言われた。
そういうのって、とっても豊かで、逆に贅沢な精神だと思う。ステキだと思う。
心まで、ていねいでしなやかになる気がする。

使い捨てればいい、って何だか乱暴で雑で、頭が悪い感じ。
電車でお年寄りが立っていても平気で座って足投げ出して漫画読んでたり、
混んだ車内で堂々とファンデーションから塗り始めて化粧したりする、感覚のアンテナが
さび付いた恥ずかしい若者が育っちゃったのも、決して無関係ではない気がする。
一瞬一瞬を、ちゃんと命を燃やして生きる、ってそういう事なんじゃないかな、と思う。

そうだ。やっぱり即興なんだわ。生きるって事自体が。
今書きながらすごいピンと来た。
鈍いアンテナじゃ鈍い生き方しか出来ない。いい演奏は出来ない。いい人生は生きられない!
今、私に出来る事、なんていう生ぬるい感じじゃなく、よ〜し、どう工夫してやろうか!
ってキラキラするような、そんな輝いた感覚で生きて行きたいな!!