麦畑

9月になると、いつも想い出す景色がある。
それはアムステルダムゴッホ美術館で見た「麦畑」。
絵としてではなく、頭の中の風景として。

その時初めて訪れたアムステルダムだった。
同行した村上由美子と私は、ロッテルダムで開かれた「メシアン音楽祭」
に招聘されていた。
並み居る現代音楽の演奏者達は、自分の出番まで与えられたピアノのある小部屋で練習に余念がない。
その日のトリだった私達の演目は(曲を含んだ)即興だったので、のんびりお茶を飲んだり、
他の人の演奏を楽しんだりして出番を待った。

演奏は完璧だった。
「とおりゃんせ」をモチーフにした曲は、終演後、全く日本語が分からない聴衆や演奏者から「小さな子供が見えた」「神様のようなものを感じた」「森を感じた」と言われ驚いた。まさに「とおりゃんせ」の内容そのものではないか。

そして、もっと驚いたのは、演奏が終わってすぐ、抱き合って由美子と、「三曲目って何が見えてた?」
二人同時に「麦畑!」

「タバコをくわえた頭蓋骨」でも「モンマルトルの家庭菜園」でも「広重や花魁、渓斎英泉の模写」でも「麦わら帽子をかぶった自画像」でもなく、
「麦畑」を、演奏中に二人同時に見ていたのだ!

彼女と私は他にもいくつも見えない世界を体験している。
魂で繋がっていた彼女と、私は死ぬまで共に演奏し、共に居られると信じて疑わなかった。

太陽のような彼女が逝って、9回目の秋。
今日は彼女の命日。