金大煥さんへ

奔放で子供みたいで、涙もろくて温かくて、器がムチャクチャ大きい人。
金大煥さん、あなたと初めて会った時の事は忘れられません。
黒くて地味な服装、韓国でフリーミュージシャンやってるなんて、きっと貧乏なんだろう、
と、勝手に想像…今思えば笑っちゃうくらい何も知らなかった私。
初共演の時、開演前に乾電池を買いたいと言うあなたが、300円くらいする
高いのを買おうとしたので、あぁ、日本語も分からず、物価も分からないんだ、と思い込み、
ダメダメ!こっちがいいよと100円くらいのを買わせ、ラーメンをご馳走しましたね。
演奏始まったら素晴らしくて素晴らしくて、なぜか息がぴったり!
休憩時間に、いきなり今度韓国で演奏しましょう、と誘われました。
しかも流暢な日本語。あれれ?喋れるんだ、なんて(笑)。

それから何度も韓国でツアーをしましたね。
家は大きいわ、黒い服だけで100着もあるわ、車もおっきなバイクもたくさん持ってるわ、
…すごいお金持ちだったんだ!(笑)
ソウルで誕生日を迎えた年には、お店を借り切ってミュージシャンの友達に
ハッピーバースデーを演奏させて、祝ってくれましたね。
10回を越えるあなたとの韓国ツアーは楽しくスリリングでした。
おっきなバイクの後ろに乗って、ソウルの町をかっ飛ばしたっけ。

今思えばビックリするような待遇を受け、TV、新聞、雑誌のインタビュうなーも幾度も受けた。
どこで演奏しても、すごいお客さんだった。
まるで自分がアムロかアユにでもなったような不思議な気分でした。

その後、義弟のカン・テーファンと私が共演するようになり、カンさんからの
仕事で韓国に行くと、コンサートが終わる頃、会場まで迎えに来ちゃう。
どうせあいつの打ち上げじゃろくなもの食べられないぞ、なんて言って、
美味しいもののお店にいつも連れて行ってくれましたね。

微妙な兄弟関係で、一緒には演奏はめったな事ではしなかったあなたとカンさん。
ほんとはお互い好きなくせにね。
ゆきが結婚するまでは死ねないな、なんてお父さんみたいだった。
いきなり死んじゃうなんて、ずるいよ。

きょうはあなたが天国に旅立ってちょうど7年目。
あなたが般若心経を彫ってくれた判子は、まだもったいなくて使ってません。