須田さん、お帰りなさい。

りぶるの須田さん、三年振りに帰ってきました。
品川の日の出埠頭で車が見つかりました、と、お兄様からメールが来ました。
あんなにみんなで捜してる時はちっとも姿を現さなかったのに…、
思わぬ時に、思わぬ所からひょっこり帰ってきたんだね。
あなたらしいよ、須田さん。オチャメでお洒落なあなたらしい現れ方。

DNA鑑定が済まないので、お弔いはまだ。
三年間、ずっとずっと、ほとんど電話の前にいらしたというお母さま、
お気持ちを思うと、胸が張り裂けそうになる。

りぶるは私にとって、故郷みたいな場所。
どんな実験的な音楽をも受け入れてくれて、あたたかく見守ってくれていた。
なにをやろうと、一言も文句を言わず、ニコニコ嬉しそうに聴いてくれていた。
加藤崇之と出会ったのもりぶる
鬼怒無月とDuoの日に、間違って来た加藤さん。なら一緒にやろうよ、と
言うことになり、三人で演奏したのがお互いの心に深く残っていて、後のシナプスとなる。

人に歌を教えるようになったのも、須田さんが生徒一号を送り込んできたのが始まり。
広木光一ワークショップで叱られたと言って泣いてばかりいた、まだ10代の少女だった
その子も、今はもう30歳近い。
本当に私の事、大切にしてくれた須田さん。

末期がんになってからは、お店の椅子に横たわって、それでもライブを聴いてくれていた。
栄養剤を、オレの酒、と言ってチビチビやりながら。

一度、デートの約束をした事があった。
居なくなるちょっと前の、雨の日。
本当は須田さんの大好きな野球を一緒に見に行くはずだったその日は折りしも雨で中止。
中華街でほんの少しだけ食事をして、茶色い封筒からお金を出してご馳走してくれて、
そして、あたたかい季節だったけど、ダウンのジャケットを重ね着して電車に乗った
須田さんの後姿…。

お正月に病院に行った時、退院して今度こそ野球を見に行こうね、と約束したのに。

水色のワゴンで、またドライブしたかった。
あの薄暗いりぶるで、また歌いたかった。
りぶるディナーショー」で、あの細い体で作ってくれる、飛び切り美味しいご馳走、
また食べたかった。

須田さん、貴方の事、決して忘れないよ。
そしてりぶるでの日々も、命ある限り、決して忘れない。
色あせる事の無い宝物だよ。

これからは、肉体を離れて、自由に楽しく飛び回ってね。
たくさんたくさん、有り難う。須田さん。